その男の名を初めて(意識して)知ったのは、福野礼一郎氏の著書「幻のスーパーカー」(双葉社)文庫版あとがきだった。
「(略)イオタ/SVJに関する情報の白眉は、90年代になってイラン政府が放出した2台のスペシャルミウラの存在だ。本書はもちろんのこと、ランボルギーニ社がこれまで公表してきたミウラの車台番号リストにすら記載されていないこの2台こそ、かつてのイラン国王パーレビの所有車だったのである」
日本では「パーレビ」と表記されることの多いイラン帝国(パフラヴィ朝)最後の皇帝、Mohammad Reza Shah Pahlavi.
世界の名だたる高級車、スポーツカーのオーナーズリストには必ずといって良いほどレザ・パフラヴィの名が記されていた。
スーパーカーヲタク(とその末裔 -
筆者は1980年代生まれ。即ちブームの頃はリアルタイムどころか影も形もなかった)にしてみれば垂涎モノのコレクションなのだが、少なくとも日本では体系的な資料は全くない(…と言って良いだろう、私の乏しい捜索能力を差し引いても)。
まあ無理のないことだろう。誰々が何々を何台持っているかなど、誰も気にしない。スーパーカーブームだって三年ひと昔の現代でははるか彼方の出来事である。その上、強大な権力を奮い、アメリカと強い関係を持ち、贅沢の限りを尽した(そりゃそうだろう、クルマ一つ取ってもお宝級のがワンサとあるのだから)レザ・パフラヴィの現代における評価はかなり低いようだ。
革命とは前体制の全否定から始まるのだから、当然といえばそれまでだが。
それならば自分でまとめてみるか、というのがこのページを起こしたきっかけである。
膨大なコレクションは革命後、テヘランの宮殿に護衛付きで保管されていた。その後、前述のミウラのように一部は放出されたが、多くは2001年にオープンした国立自動車博物館(キャラジ
- テヘラン西約20km)に収められた。
英語版Wikipediaよりその収蔵車両(一部)を引用する。
There are many cars in the museum, ranging from sport cars to
limousines and carriages
which carried the royal family. Some of these cars include:
*
Rolls-Royce Silver Ghost(Black)
*
Rolls-Royce Phantom I (Black)
*
Rolls-Royce Phantom II (Black)
*
Rolls-Royce Phantom III (Black)
*
Rolls-Royce Silver Cloud III (Convertible, Maroon)
*
Rolls-Royce Phantom IV (Black)
*
Rolls-Royce Phantom V (Maroon)
*
Rolls-Royce Phantom VI (Maroon)
*
Rolls-Royce Corniche (Navy Blue)
*
Rolls-Royce Camargue (Caribbean Blue)☆
*
Stutz Blackhawk
*
Lamborghini Miura (white)
*
Lamborghini Espada (Yellow)
*
Lamborghini Countach (Metallic red) Gift to Reza Pahlavi from his aunt,
after he passed driving test.☆
*
Ford Mustang
*
Cadillac Eldorado (White) Queen's car
*
Mercedes-Benz 500K☆
*
Mercedes-Benz 600 (Maroon) 3 of.☆
* Ferrari 365 BB (Silver) - シャシーNo.18151、アセンブリーNo.218、製造No.222(「Ferrari Serial
Numbers Part I」 - The Value Guide, Inc.刊、「クルマの神様」抜粋収録)
1974年後半に納車された模様(2nd.Series)。
*
Ferrari 500 Superfast (1966年製、シャシーNo.8817) (後述)
*
Maserati Ghibli Coupe
*
MPV Tehran Type (specially designed by Mercedes-Benz, Porsche and Volkswagen
for the last crown prince of Iran, Reza Pahlavi)
*
Ford Model A
☆印は下記映像上で確認できた車両
「一部」ということは、まだまだあるということだ。
YouTubeには、個人が博物館内で撮影した映像が公開されている。そこから分析してみる。
* ジェンセン・インターセプター・コンバーチブル(ゴールド)
* デイムラー・DS420
* ロールス・ロイス・コーニッシュ(ゴールド、マルーン) - 上の色違い
* メルセデス・ベンツ 600 - 4台ある?6ドアのロングホイールベース仕様。公用と個人用で使い分けていたようだ。
* メルセデス・ベンツ 300SLロードスター(白)
* 365GT/4 BB(ブルーメタリック)?
* ポルシェ・911ターボ(黒、レーシングトリム、右ドアに"F.S.Ansary")
* ポルシェ・911ターボ(銀)
* ポルシェ・928(黒) - 1978年デビューからして、初期型
* ヴィッザリーニGT(=イソ・グリフォA3C、シルバー)
(from YouTube
National Car Museum of Iran
Tehran)
〜放出されたもの、など〜
革命後、ほとんどの車両はテヘランの宮殿にて護衛付きで保管されていた。パフラヴィ一家は国を追われ、父レザ・シャー・パフラヴィの霊廟は破壊し尽され、体制は見事なまでにひっくり返されたが、幸い(当然というべきか)高価なスポーツカーコレクションはスクラップを免れた。
もっとも、新政権には「しばらく隠しておけば高値で売り飛ばせる」という打算でもあったのだろう
。イラン革命が起こった1980年はスーパーカーブーム(これは日本固有の事情だが)とバブル景気の谷間である。
ランボルギーニ・ミウラ
「4台所有」 - P400(=初期型)、P400S、P400SV、(通称)SVJ
P400,P400Sのいずれかは博物館所蔵。
SVJ(シャシーNo.4934)バーガンディ+ホワイト内装 -
事故により喪失した実験車両Jota(イオタ)のルックスを継承するミウラ改造車。1972年1月15日付の生産証明を以て、スイス・サンモリッツの別荘に納車された。
1995年UAE実業家へ売却、翌年ブルックス・オークション(現・ボナムス)に出品され、$497,500にてニコラス・ケイジが
落札。2004年にボナムスを通じて現在のイギリス人オーナー購入。それに当たり、サンタアガタのランボルギーニ本社でレストアが施された。平時は彼の全幅の信頼をもって、イギリス屈指のヒストリックカーファクトリー、DK
Engineeringがメンテナンスを担当している。
P400SV(シャシーNo.4870)インペリアルブルーメタリック - SVJとともに放出、William (Bob) Wallace(言わずと知れた元・ランボルギーニ社チーフテストドライバー)の手によるレストア
がなされ、各地のコンクール・デレガンスで「史上最高のミウラ」の名を欲しいままにしている。2012年にもクウェートのコンクールに出展。
不思議なことに、SVJのパワートレーンがほぼノーマルだったのに対し、こちらはJotaのものに近い、ドライサンプのスペシャルスペックユニットを搭載していた。
(2013/10/2記)2013年9月19日、ボブ・ウォレスが亡くなったとのニュースが入ってきた。享年75歳、黎明期のランボルギーニの生き証人がまた一人旅立ってしまった。御冥福をお祈りする。(了)
プリマス・XNRギア・ロードスター
2011年ペブルビーチ・コンクール・デレガンス「グランツーリスモ
・トロフィー」受賞。慣例通りならば「グランツーリスモ6」収録は確実。たった1台だけ製作されたショーカーだったが、一目惚れしたパフラヴィはこれを入手することに成功、レバノンの隠しガレージで戦火を免れていた。2012年8月、カリフォルニアのクラシックカーオークションにて$935,000で落札。
ペガソ Z-102
各種資料により、所有していたことは間違いないが、その後の消息が不明。調査中。
マセラティ・5000GT
レーシングカー450S用のエンジンを4.9Lまで拡大して優雅なグランツーリスモに搭載した、世が世ならマクラーレンF1級の「公道を走るレーシングカー」。3500GTの約2倍という価格が災いして(それでも買っちゃうのが王様だ)、総生産台数はわずか32台。3500GTに感銘を受けたパフラヴィが、
マセラティに特注して誕生した。この生産第1号車(シャシーNo.AM103002、ネイビーブルー、コーチワークはカロッツェリア・トゥーリングによるスーパーレッジェラ工法)は1959年トリノショー
への出展を経て納車された。
このトゥーリング・ボディの5000GTはわずかに3台(4台説もあり)が製作され、そのものズバリ、"Shah of Persia (Scia
di Persia)"のニックネームで呼ばれている。
1995年12月パリ、ポーレン・ル・ファーのオークションにこのクルマが出品され、£142,091(当時のレートで約2,400万円、フランスなのにポンドなのは、イギリス発のレポートのため)で落札された。出品者は明らかではないが、イラン政府ではなさそうだ。なぜなら、1993年の時点で既にレストアが完了(出品時の評価"Excellent
/Restored"とも符合する)し、元気に走り回っている写真が公開されていたので、放出はかなり早かったか、ひょっとすると在位中に手放した可能性もある。
ややこしいことに、このポーレン・ル・ファーのオークションにフェラーリ・500 SuperfastやミウラSVJも出品され、いずれも高い評価を受けたが―Superfast(1966年製、シャシーNo.8817):£167,560、SVJ(1972年製、シャシー、No.記述なし):£111,260―これはパフラヴィコレクションではない。
余談ながら、2号車(グリーンメタリック、南アフリカのBasil
Read氏購入)、3号車(ネイビーブルー、マセラティ社オーナー・オルシ家プライベートカー)もヒストリックカーの世界では非常に有名で、いずれもフロントのバンパーガードが太いのが大きな識別点。
フェラーリ・500 Superfast
シャシーNo.6605SF,7975SFの2台を所有していた模様(参照1、参照2)。
参照2のMike
Sheehanレポートに従えば、博物館展示車が6605で、7975は1970年代初頭にも売却されたこととなる。また、先述の「ややこしい」No.8817SFは、オハイオのJohn
Winter Napoleon氏オーダーのもので、左ハンドルの最終生産車だった。
Bugatti Type 57C
VanVooren Sport Roadster - 2001年頃、RMオークション出品、フロリダ州アメリア島のオーナーが落札。
〜クルマ選びの謎〜
知り得る限りありったけの所有車両を列記して気付くのは、現代に至るまで語り継がれる'60〜70年代の名車の数々をことごとく手にしていたという事実だ。…いや待てよ、それならアストンのDB5あたりがあるべきだ、もっと広く言えばジャガーEタイプも、だ。イギリス車はロールスのリムジンがメインで、スポーツカーは少なく、上記の「大御所級」は見当たらない。
日本からは、性能的に物足りないとはいえ、この時代には既にトヨタ2000GT(私も大好きだ)が発表されている。
イギリス製スポーツカーが少ない理由は分からないでもない。島国のクルマ作りは大陸のそれと考え方が違うからだ。国境を越えて地の果てまでブッ飛ばす能力(=グラン・トゥーリズモ)は必要無い。第二次世界大戦後、フェラーリとポルシェという「異端」の登場によってその秩序は大きく変化し、イギリスも後を追った。しかし、スーパーカーブームの主役がポルシェVS.イタリア連合軍だったように、蚊帳の外だった感は否めない。パフラヴィも同じような感じを抱いていたのかもしれない。
さらに疑問なのがアメリカ車。その頃のアメリカンスポーツカーの最高峰といえば、フォードがエンツォ・フェラーリの無礼にキレて、ルマンで復讐するために作り上げたプロトタイプレーサーGT40、そのロードバージョンとして少数製作された「フォード・マーク3」、そして上品なイギリス製ロードスターに7リッターエンジンをねじ込んだ怪物「シェルビー・コブラ」だろう。いずれもガレージにはなく、あるのは「庶民向けスペシャリティカー」(=断じてスポーツカーではない)フォード・マスタングのみだ。アメリカとの関係からすれば、彼がこの2台を知らなかったとは考えにくい。
さらに一歩引くと、クライスラーはHEMIエンジン(パフォーマンスは眉唾ものだが)を無理くり詰めたマッスルカー軍団が、GMにはコルヴェットがある。いずれも国内外のレースのためのホモロゲーションモデルだ。それを差し置いて入手した無印のマスタング。うーむ、分からん。
〜ちょっと脱線〜
パフラヴィのクルマたちを研究していれば、他の珍しいクルマも気になってしまう。その最右翼が「イオタ(Jota)」だ。
ランボルギーニのボブ・ウォレス(Bob
Wallace)が業務時間外にあり合わせのパーツで組み上げた、本来は存在を許されない(社主フェルッチオはレース出場禁止を社是としていた)レーシングモデル。一般ユーザーに払い下げられた直後に事故で廃車になったが、上得意客にはその存在は公然の秘密で、「ミウラベースで良いから」と、さらに大金を上乗せしてメーカー純正のイオタ風ミウラが少なからず製作された(その初号機がパフラヴィのシャシ
ーNo.4934である)。
さて、例の1995年パリのオークションに現れたSVJ、これはシャシーNo.4990である可能性が非常に高い。No.4934も1972年製だが、
次の理由によりこう判断した。
-
No.4934について、「1996年にイランからバーレーンに売られてその存在が明るみに出たもので…」(「幻のスーパーカー」) -
1995年12月開催だから、落札〜入金〜納品のタイムラグや些細な記憶のズレで年を越してしまう可能性は否定できないものの、これだけセンセーショナルな個体にも関わらず、レポートにはそうした記述はなく、売買記録しか記されていない。また、そこにも5000GTの注釈"ex.-
Shah of Iran"が付けられていなかった。
-
一方でNo.4990が1996年にフランスのオークションにて日本人オーナーに落札された(2012年現在、ドイツのショップに並んでいる)。
-
こうしたヒストリックカーオークションの市場はアメリカ、イギリスが中心で、皆無ではないにしてもフランスではさほど多くない。そうした状況下、No.4990がポーレン・ル・ファーに現れたのは、フランスにあったからだ。元々4990はハイチのホテルオーナー、アルベルト・シルベラのオーダーによる個体だったが、後に独裁者として悪名高きデュヴァリエ大統領の所有となる(合意による譲渡か略奪か不詳)。しかし1986年のクーデターで政権は崩壊しデュヴァリエはSVJもろともフランスに亡命、
そこで資産の差し押さえを受けた。
いずれにしても「確たる証拠」ではない。しかし、以上の状況証拠を踏まえ、世界中に両手で足りるほどしかないSVJの中で判断するならば、私は4990に軍配を上げる。
参考文献
* 「別冊CG 天皇の御料車」 - 二玄社刊 小林彰太郎編(1993)
* 「NAVI増刊 クルマの神様 2005テストフェーズ」 - 二玄社刊(2005)
* 「SUPER CG」各号 - 二玄社刊
* 「ROSSO Special Issue 復刻版 イオタ白書」 - ネコ・パブリッシング刊(2010)